自分が境界知能(IQ76)&統合失調症だと判明した経緯

 2022年の秋頃、僕はついに心療内科の門扉を開く事に決めた。理由は、この年になるまで、仕事や、学業、コミュニケーション面等において、謎の生きづらさをそれまでに感じていたからだ。

 

 何となく、先の生きづらさを覚え始めたのは、中学生の時だった。その時に、いじめを経験したのと、学業、スポーツ面等、何となく上手くいかないような感覚を覚えたからだ(特に中学初期の頃のテストの点数は、他人に馬鹿にされるほどの燦燦たる結果だった)。

 

 又、高校時代以降でも、クラスで孤立化し、部活や体育の授業等でも何となく、スポーツ面で苦労を覚え始めたからだ。特に球技は壊滅的で、少し齧った程度の卓球が比較的マシなくらいだった(それでも試合に出ている選手とは比較にならないレベル)。

 その上、孤立化した原因も球技大会での、バスケットボールという個人的には、難易度が高い種目での失敗が原因だった(後に、球技が上手くできなかった理由も判明するが・・)。

 

 それ以降も、散々な目にあった事は多々あったかもしれない。受験は、高校、大学共に失敗し、やっとの思いで入学した大学でも、上手くいかず。バイトはそもそも面接すら受からない。やっとの思いで就職するが、その職場は5か月で退職、それ以降もアルバイト等を含めて最長で三か月ほどしか続かなかった。

 

 といった具合に、謎の生きづらさを覚えながら、悶々とした日々を過ごしていた。何なら元知人や、公的な機関に借金をしてしまう有様だった(幸い前者は親の力も借りつつ、返済。後者は、当時一人暮らしをしていたが、非課税世帯だった為、免除にはなった)。

 

 先の公的な機関の借金に関しては、後ほど機会があれば、説明したいと思うが、上記の様に、原因不明の、生きづらさの原因を追究する為(すでに発達障害の可能性を疑ってはいたが)に、心療内科の門戸を開いた。

 しかし、残念ながら一度目に行った心療内科では、門前払いをくらってしまった。そもそもその心療内科では何故か、発達障害の検査自体ができなかった・・心療内科なのに何故?といった疑問も浮かんできたが、今思うと、この時から既に精神的には調子が悪かったように思える(車に轢かれようかと、少し希死念慮的なものが浮かぶ様になっていた)。

 その後、大体の人は、ここから心療内科を転々とするパターンが多くなるとは思うが、幸い自分は、友人の薦めもあり、二回目の病院で、きちんと診断を受ける事が出来た。(大学時代の後輩に、自分の過去の記録を整理したデータを作成してもらえたのもあるが)その過去のデータから、自閉症の可能性は高いかもしれないという事になったのと、うつ病との診断もこの時にあったので、この二回目の病院で、WAISーIV、PFスタディ、MMPI、CAARSのテストを受ける事になった。

 それから三週間ほどは経っただろうか・・ようやく検査の結果が返ってきた。始めの病院に行ったときは、半袖でも行けるくらいの温度だったのが、いつの間にか防寒着を着ないと対処出来ないくらいまで時が過ぎ去っていた。結果は想像より芳しくなかった。

 総合のIQが76の『境界域』で、ワーキングメモリーと、知覚推理の分野が凸の発達障害だった。(この時にADHDの特性も持っている事が判明する)又、精神的にも非常に混乱しているのと、被害妄想の強さ、認知力が低下しているのもあって、『統合失調症』という診断がついた。個人的には、うつだと思っていたので、想像より悪くなっており、少しショックを受けた記憶もある。

 そろそろかなりの時間を費やして、書いたので、続きは次回にしたいと思う。統合失調症の症状も、今となっては良くなってはいるが、寛解したとは言えないので、休みたいと思う。統合失調症の症状も鑑みつつ、ぼちぼち更新していこうと思う。